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金沢地方裁判所 昭和46年(ワ)120号 判決 1980年2月08日

原告 今門保

右訴訟代理人弁護士 竹田実

被告 八家正俊

右訴訟代理人弁護士 佐伯千仭

同 米田泰邦

主文

一  被告は原告に対し金二〇〇万円及び内金一八〇万円に対する昭和四六年六月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し金五四〇万円及び内金三〇〇万円に対する昭和四六年六月六日から、内金一六〇万円に対する昭和五一年一月一四日から、各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告はかつて捕鯨船の乗組員として稼働していた者であり、被告は整形外科を主体とする八家病院を経営する医師である。

2  原告は、昭和三八年五月初旬、腰痛のため右病院に入院し、第一腰椎陳旧性圧迫骨折と診断され、同月二九日、被告の執刀により脊椎固定手術を受けた(以下、「本件手術」という。)。

3  右手術の際、被告は医師として最善の注意をつくすべき義務があるにもかかわらず、それを怠った過失により、原告の体内の手術部に後記ガーゼ片を遺留したまま縫合した。

4  原告は、昭和三八年八月下旬、右病院を退院し、しばらく自宅療養したのち再び捕鯨船に乗り組んで作業に従事していたが、昭和四〇年一月ごろから手術創の中央部に激痛を伴った腫脹が周期的に出来るようになり、また、下肢のしびれ、瘻孔の形成がみられるようになった。その後、原告は、昭和四〇年五月下船し、水産物加工会社に勤務するようになったが、同様の症状に悩まされ、医師の診察を受けたが原因の解明に至らないまま、昭和四五年六月二四日、木島整形外科病院において被告の行なった前記手術あとの切開手術を受けたところ、手術創上端部の脊椎硬膜外にガーゼ片(以下、「本件ガーゼ」という。)が遺留されているのが発見され、剔出された。その結果、原告の右症状は消失した。

5  原告の右症状は、被告によって体内に遺留された右ガーゼ片のためであり、被告の前記過失に起因するものであるところ、これによって原告が被った損害は次のとおりである。

(一) 慰謝料

前記のとおり、原告は六年もの間にわたって精神的、肉体的苦痛をしいられ、その後も体力が著しく減退し、軽労働にしか従事しえない状態であることなどを考えると、原告の精神的損害を慰謝するには四六〇万円をもって相当とする。

(二) 弁護士費用

本件訴訟の経緯等に照らせば、弁護士費用として八〇万円が相当である。原告はそのうち着手金として一五万円、その他の費用として三五万円を既に支払済みである。

6  よって、原告は、被告に対し、診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償として五四〇万円及び弁護士費用を控除した残額四六〇万円の内金三〇〇万円については訴状送達の日の翌日である昭和四六年六月六日から、内金一六〇万円については請求拡張の申立てにかかる準備書面送達の日の翌日である昭和五一年一月一四日から、各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否及び主張

(認否)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2のうち、原告が八家病院に入院し、昭和三八年五月二九日被告の執刀により脊椎固定手術を受けたことは認めるが、診断内容は否認する。当時の被告の診断による原告の病名は第一二胸椎陳旧性圧迫骨折であった。

3 同3の事実は否認する。

4 同4の事実は不知。

5 同5は争う。

(主張)

本件ガーゼは、被告がした本件手術に際し遺留されたものではない。

すなわち、被告がした本件手術は、ヘンリー・ガイスト氏変法による脊椎固定手術であって、右手術では椎弓や黄色靱帯の内側に達することも、椎体に触れることもないのであるから、原告が本件ガーゼの発見部位として主張する脊椎硬膜外にガーゼを遺留することはありえない。また、被告が右手術に際して用いたガーゼは、三〇センチメートル角のものであり、本件ガーゼとはその形態を異にするし、本件ガーゼは、それが七年余も原告の体内にあって化膿の原因となっていたものであるにしては、余りにも新鮮であり、不自然といわざるをえない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因1の事実及び同2のうち原告が八家病院に入院し、昭和三八年五月二九日被告の執刀により本件手術を受けたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  原告は、昭和一二年五月七日生まれの男子で、捕鯨船の乗組員として稼働していた者であるが、昭和三七年ごろから腰痛に悩まされるようになり、船医の勧めもあって、昭和三八年五月下船したのち同僚数名とともに被告の経営する八家病院に入院したところ、第一二胸椎陳旧性圧迫骨折と診断され、昭和三八年五月二九日、被告の執刀によってヘンリー・ガイスト氏変法による第一二胸椎、第一腰椎部分に対する脊椎固定手術を受けた。右手法の概略は、棘突起を切断し、椎弓の後面を削りその皮質部分に傷をつけて骨質をあらわし、そこに腸骨から採取した骨片等の移植骨を並べて固定するというものである。

2  原告は、昭和三八年八月下旬ごろ右病院を退院し、しばらく自宅療養したのち同年一〇月にはコルセットを装着した状態で再び捕鯨船に乗り組み、機械操作などの簡単な作業に従事していたが、昭和三九年末ごろ右手術創瘢痕部に痛みを伴った腫れが生じ、船医の治療を受け、一旦は消失したものの、昭和四〇年三月ごろ再び腫れが生じ同じ状態を繰り返した。原告は、昭和四〇年五月捕鯨船乗組み業務をやめて、同年九月からは水産物加工会社に勤務するようになったが、その後も相変わらず腫れが出たり引いたりの状態が続くとともに足のしびれ、倦怠感を訴えるようになった。

原告は、昭和四一年四月八日右腫脹部分の圧痛を訴え米澤病院で冷湿布による治療を受けたが、同年九月痛みが激しくなり、同月二六日都外科病院に入院し、排膿のため腫脹部の切開処置を受けた。当時、本件手術創瘢痕部には小児拳大にわたる腫脹がみられ、右切開によって多量の排膿があった。翌日退院し、同月三〇日まで右病院で通院治療を受けたのち、数日間、村彦病院に通院したこともあったが、その後は専ら自分で腫脹部分にガーゼをあて排膿したりするなどして過した。

3  その後、一向に症状の改善のみられないまま、原告は、昭和四五年六月一五日、本件手術をした被告の診断を仰ぐため八家病院に赴いた。同病院の遠藤医師は、原告に対し造影剤を注入したうえシリコンチューブを挿入して瘻孔撮影をした結果、骨髄炎の疑いはなく、単純性瘻孔の一種と診断し、瘻孔部分を切除した方が良い旨述べたが、原告は、被告自身による診断を受けることができなかったこともあって、そのまま金沢に戻った。なお、右瘻孔撮影後、遠藤医師が瘻孔部分にドレナーゼ・ガーゼを詰める処置をしたかどうかは必ずしも定かでないが、仮にかかる処置をとったとしても、そのガーゼは幅約一センチメートル、長さ一〇ないし二〇センチメートルほどのものであって、後記のとおり本件ガーゼとはその形状を異にするものであった。

原告は、翌一六日、村彦病院を訪れたが、同病院の村医師のレントゲン写真に基づく所見によれば、原告には、第一二胸椎、第一腰椎の切除された棘状突起部分近く第二腰椎に向って深さ約五センチメートルの脊髄硬膜近くに達する瘻管形成が認められ、同医師は腐骨等の異物反応による瘻孔形成の疑いをもち、手術が必要であると診断した。そこで、原告は、同月二三日まで同病院に通院していたが、知人の勧めにより木島整形外科病院で手術を受けることとし、同月二四日木島整形外科病院に赴き、木島医師の診断を受けた。

4  木島医師は、瘻孔形成の原因として骨髄炎又は本件手術の際残った糸の化膿によるものとの疑いをもち、直ちに原告を入院させ、同日、本件手術創部分の切開手術を行なったが、その結果瘻孔は深さ約五、六センチメートルにわたるものであることが確認された。同医師が右瘻孔部分をたどって切除していったところ、その末端部第一、第二腰椎付近の椎弓付近に周囲から圧迫され小さく塊状となった赤色の本件ガーゼ二片が発見された。そこで、同医師は、これを剔出し、ホルマリン液に漬けて保存することとした。

原告は、昭和四五年七月二五日まで右病院に入院し、その後昭和四六年三月ごろまで通院治療したが、右手術後、瘻孔は治ゆし、足のしびれ感等も消失するに至った。

5  本件ガーゼ二片は、いずれも両端を互にあわせた二枚折にたたまれた形のものであり、その幅はともに約二・六ないし三センチメートルであるが、その長さは、ひとつは約二二センチメートル(二枚折で約一一センチメートル)、ひとつは約一二センチメートル(二枚折で約六センチメートル)である。その辺縁部を主として、汚穢淡暗褐色ないし暗赤色の汚染を呈しており、かかる部分においてはガーゼせん維の織り目がかなり判りにくくなっている箇所があるが、一部では、元来の白色調の布地のままでガーゼの織り目が明瞭に認められ、縦横のせん維も整然としているところもある。本件ガーゼの右汚染部分について染色反応を行ない顕微鏡検査を実施したところ、せん維間には多量の血液成分が介在しており(ただし白血球の量は少ない。)、特に汚染の高度な部分においては赤血球は一般に少なくフィブリンがガーゼせん維の間を満たしているような格好になっているほか、フィブリンの周囲又はガーゼせん維の表面に接して少数の結合組織細胞(大食細胞、せん維芽細胞様の紡錘形の細胞など)が存在していることが認められ、本件ガーゼ剔出時その周囲には結合組織の反応が充分起っていたものと窺われる。なお、鉄反応検査においてはヘモジデリンとみなすべき青染物質は認められなかった。ところで、体内に停留した異物に対して起こる結合組織反応は、異物の質、量、停留部位などの条件いかんによって差が生じるものであり、また、個人差も影響するものであるところから、本件ガーゼの組織学的検査だけでは、その体内停留期間を的確に判断することは困難であるが、仮にそれが七年余の間前記発見部位に停留していたものであるとしても、右組織学的検査の結果と矛盾するものではない。また、本件ガーゼのような異物が体内に存在することによって、本件手術後、原告にあらわれた腫脹、瘻孔等の症状が生じるとすることに医学上不自然な点は存しない。

以上のとおり認められ(る。)《証拠判断省略》

以上認定した本件手術の内容、本件手術後及び本件ガーゼ剔出後における原告の症状の経緯、本件ガーゼの形状、発見部位及びその組織学的所見などに加え、原告が本件手術後本件ガーゼ剔出までの間背部の手術を受けた形跡の窺われないことなどを合わせ考えると、本件ガーゼ二片は、被告が本件手術に際し遺留した止血用のものと推認するのが最も自然であるというべきであり、また、原告の前記瘻孔等の症状は、遺留された右ガーゼによって生じたものと推認するのが相当である。

《証拠省略》中、被告が手術に際し本件ガーゼのような形状のガーゼを用いることがない旨の供述部分はにわかに採用し難く、他に右推認を動かすに足りる証拠はない。なお、被告本人は、本件手術においては本件ガーゼの発見部位である椎弓付近にガーゼを用いることはありえない旨供述するが、《証拠省略》によれば、一般に脊椎固定手術では椎弓付近に相当程度の出血をみることが認められるのであって、その部位に止血のためガーゼを用いることがありえないということはできず、被告本人の右供述部分は採用することができない。

そうすると、被告は、本件手術に際し、医師として通常用いるべき注意を怠り、本件ガーゼを原告の体内に遺留したものであって、右は診療契約上の債務の本旨に従わない不完全な履行というべきことは明らかであるから、被告は、これによって原告に生じた後記損害を賠償すべき責任がある。

二  そこで、原告の損害について判断する。

1  慰謝料

原告が約五年余の間腫脹、瘻孔などの症状に悩まされ、また、本件ガーゼ剔出手術のため木島整形外科病院に約一か月入院し、その後約九か月通院したことは既に認定したとおりであり、このことと被告の過失の態様等本件にあらわれた諸般の事情を総合勘案すると、原告の被った精神的損害を慰謝すべき額としては一八〇万円が相当である。

2  弁護士費用

医師が診療契約上の債務の不完全な履行によって患者に対し損害を与えた場合において、その患者が損害の賠償を求めるために訴えの提起を余儀なくされ、訴訟の追行を弁護士に委任したときは、その弁護士費用もまた事案の難易、認容額等諸般の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内のものに限り、右債務不履行と相当因果関係のある損害と解するのが相当である。そして、前示のとおり原告は被告に対し一八〇万円の支払を請求しうるものであるところ、《証拠省略》によれば、原告は、被告がその請求に応じないため、弁護士である本件原告訴訟代理人に本訴の提起、追行を委任し、着手金として一五万円、出張旅費として一万円を支払ったほか、成功報酬として認容額の二割以下を支払う旨約定していることが認められる。そこで、本件事案の性質、難易、審理の経過、認容額等諸般の事情を斟酌すると、そのうち本件債務不履行と相当因果関係のある損害として被告に賠償せしめるべき弁護士費用の額としては、二〇万円が相当である。

三  よって、原告の本訴請求は、二〇〇万円及びそのうち弁護士費用を控除した残額一八〇万円に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四六年六月六日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容することとし、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加藤光康 裁判官 佐藤久夫 山嵜和信)

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